無罪判決の紹介

【裁判例】 放火事件につき、犯行と被告人との結びつきに関する原判決の事実認定に不合理な点があるとして、上告審が原判決を破棄し無罪を言い渡した事例−長坂町放火事件 最高裁判所昭和48年12月13日
山梨県のとある町で起こった放火事件について、一審は被告人を無罪としましたが、二審は被告人を有罪とし懲役2年6月の実刑判決に処しましたが,最高裁判所は被告人を無罪としました。 1 被告人を有罪とした控訴審は,被告人を犯人と判断した根拠として次の点が挙げられるとしています。 (1)本件放火の犯人は被告人方内部の者と認められること(被告人方の戸締りが全部なされてあったことなどから),また出火当時,被告人方にいた他の者については犯行の嫌疑が認められないから、残るのは被告人だけに絞られること     要するに,消去法で被告人しか犯人はいないという論法です。   この論理に対し,最高裁は,次のような事情から,被告人以外の者であっても犯行が可能であったのではないかという評価を下しています。  @放火された家屋には人の出入り可能な窓は12個所ありましたが,そのうち火災発生時に施錠等がなく人の出入りが可能であったと認められるのは3か所であったとされています。   最高裁は,そのうち2か所については,戸締りのための支え棒が細いなどの状況から,外部の者が絶対に侵入できないと断定することはできないとしました。   また,控訴審は,本件火災当夜は,被告人の夫らの4名が火災にそなえるための夜警の当番に当たっており,その詰所から見とおしのきく場所にある被告人方に外来者が侵入し放火するのは、極めて難かしいというのですが,最高裁は,警戒といっても2時間おきに部落内を巡回していただけのものであり,夜警員が目を離さず被告人方を監視することができた状態であったとはいえず,ことに,夜間である ことをも考えあわせると,控訴審の指摘には納得できないとしています。   ちなみに,この夜間であって見通しがきかないのではないかという論理は,最高裁の無罪判決に割合によく出てくるファクターです。  Aまた,次のよう犯行動機(当時近隣で火災が多発しており,その犯人が被告人ではないかという噂が流布されていたことから,疑いの目を被告人以外の犯行であると向けさせようとしたというもの)からのアプローチもしています。   控訴審は,出火場所が建物の奥深い場所であって,被告人方内部の者の犯行であると考えるのが自然であるとしましたが,最高裁はそのような考え方にも理解を示しつつ,検察官が主張する本件放火の動機である起訴状に記載されているような動機からの被告人の放火によるものとすれば,なぜ被告人がことさらに自ら疑いを招くような場所を選んだのか、その意図を理解することが困難だとしました。   さらに,本件放火の方法並びに材料の集め方についても,放火材料はいずれも被告人方店舗内にあったり,被告人以外の者の犯行であるとすると暗い店内の陳列台の間を歩き廻らなければならないという点からすると,外部の者による放火と考えるのは不自然のように思われないでもないが,やはり,被告人が自ら疑いを招くような方法を採ったといわざるをえないことは理解できないとしています。  B加えて,本件の火災は物置だったのですが,被告人方ではこの物置を取り壊して改築するという計画があり,どうせ取り壊す物置なのだからということで被告人が放火下のではないかということを控訴審は指摘しました。    しかし,この火災事件わすが2日後,被告人方が放火と思われる原因で全焼し,その際の出火場所は改築予定部分にはいっていない店舗東側であったことからみると、それは一応外部の者の放火であると疑わざるをえず,この全焼事件と本件放火とが同一犯人によるものと考える余地もない以上,控訴審の論理はやや短絡的な論法であるとしています。 (2)放火の動機   控訴審は,@当時既に改築することに決っていた本件家屋に出火の前々日に200万円の火災保険をかけたこと(保険金目当て),A昭和42年2月以降被告人方付近で発生した3回の火災につき被告人またはその弟の犯行ではないかとの風評が流布されていたので、被告人がこれを思い悩んでいたこと、を挙げました。   しかし,最高裁は次のように指摘しています。   @については,本件が保険金騙取のための放火であるというならば、火災保険に加入することは,被告人の犯行と疑う重要な事実ともいえようが、それはともかくとして、当時被告人方家屋のある部落には火災が頻発していたことが記録上うかがわれるので,これに備えて火災保険に加入することもあながち不合理とはいえないとしました。    さらに、その火災保険金額は、本件の直前に加入した200万円を含めてせいぜい合計400万円余りであって,被告人方の家屋その他の動産の価値からみて十分とはいえず,本件家屋に火災保険をつけたからといって被告人がその家屋を焼失してもかまわないと考えたとするには,なお疑問の余地があると指摘しています。   さらに,被告人が右家屋を全焼させようとまでは考えていなかったとすることは単なる想像の域をでないものとしています。   Aについては,被告人は,この点について気にしていて,噂の出所などを突き止めようと知り合いを訪ねたりしている事実があるのですが,最高裁は,「被告人が意図した噂の出所を確認できず、心理的葛藤は鎮静されないまま。」であったとすることは疑問であるとしています。    また,知人などに色々と話を聞いた上で「一人帰宅し床についたが,噂のことなど思い悩んでいたであろうと推測するのがむしろ女性の心理に合致すると思料される。」としても,このことから直ちに被告人が当夜自宅に放火してまでもこの風評を他に転じようと思いつめていたとみることには、なお疑問が残るとしています。 (3)その他,控訴審が挙げた論拠として@本件火災の前日頃被告人が着物一揃を弟方に預けたこと(火災に備えて財物を避難させているのではないかということ),A出火当時被告人はセーター、毛のズボン下、ズボン靴下、ネッカチーフを着用し、口にマスクをかけて就寝していたことからみると、放火後の退避に備えていたものと推測できること,B本件火災を最初に発見した被告人が寝床の中から長男に対し「物置の方が燃えている。見てみろ。」と促したことからみて出火を予期していたものと認められることC被告人は、弟や子供を起こしただけで、長男がホースを引いたり、ボールに水を汲んでかけたり  しているのに、子供に促されるまでは水を運んでもいないことがあります。   @については,家屋の焼失による損害の甚大なのに比べれば預けた着物の価値は低すぎることや本件火災前にも弟が被告人方に黒のハンドバックを借りに来た事実もあったことから,控訴審の評価を退けています。   Aについては,当時はまだ寒い季節であり,近隣に火事騒ぎが続いていたことから近隣の者で着のみ着のままで寝ていたものがあったことから,そのような服装で就寝していたのは身体の冷えるのを防ぐためと近隣に火災が発生した際直ちに避難できるためであるという被告人の弁解はあながち不合理とはいえないとしました。   Bについては,そもそも「物置の方が燃えている。見てみろ。」という発言を被告人がしたこと自体が断定し難いこと,仮にそうだとしても,被告人が出火を予期していたと速断することはできないし,ごく短時間の出来事中で発せられた片言隻句によって重要な事柄を推認することには、とくに慎重な態度が要請されるとしました。   また,出火時から消火時までの被告人の行動状況について,被告人が率先して消火に従事していないからとて被告人が放火したのではないかとの疑いがある、とは必ずしも考えられないし、むしろ、被告人が犯人であるならぱ,率先して消火活動をして自己に嫌疑がかかるのを避けるのが通常であるともいえるとしました。 2 最高裁は,最後に、次のように述べています。 「『疑わしきは被告人の利益に』という原則は、刑事裁判における鉄則であることはいうまでもないが、事実認定の困難な問題の解決について、決断力を欠き安易な懐疑に逃避するようなことがあれば、それは、この原則の濫用であるといわなければならない。そして、このことは、情況証拠によって要証事実を推断する場合でも、なんら異なるところがない。けだし、情況証拠によって要証事実を推断する場合に、いささか疑惑が残るとして犯罪の証明がないとするならば、情況証拠による犯罪事実の認定は、およそ、不可能といわなければならないからである。ところで、裁判上の事事実認定は自然科学の世界におけるそれとは異なり、相対的な歴史的真実を探究する作業なのであるから、刑事裁判において「犯罪の証明がある」ということは「高度の蓋然性」が認められる場合をいうものと解される。しかし、「蓋然性」は、反対事実の存在の可能性を否定するものではないのであるから、思考上の単なる蓋然性に安住するならば、思わぬ誤判におちいる危険のあることに戒心しなければならない。したがって、右にいう「高度の蓋然性」とは、反対事実の存在の可能性を許さないほどの確実性を志向したうえでの「犯罪の証明は十分」であるという確信的な判断に基づくものでなければならない。    この理は、本件の場合のように、もっぱら情況証拠による間接事実から推論して、犯罪事実を認定する場合においては、より一層強調されなければならない。ところで、本件の証拠関係にそくしてみるに、前記のように本件放火の態様が起訴状にいう犯行の動機にそぐわないものがあるうえに、原判決が挙示するもろもろの間接事実は、既に検討したように、これを総合しても被告人の犯罪事実を認定するには、なお、相当程度の疑問の余地が残されているのである。換言すれば、被告人が争わない前記間接事実をそのままうけいれるとしても、証明力が薄いかまたは十分でない情況証拠を量的に積み重ねるだけであって、それによってその証明力が質的に増大するものではないのであるから、起訴にかかる犯罪事実と被告人との結びつきは、いまだ十分であるとすることはできず、被告人を本件放火の犯人と断定する推断の過程には合理性を欠くものがあるといわなければならない。 前記のように、被告人が本件放火の犯人と疑う余地が全くないとはいえないけれども、上述したとおり、被告人を本件放火の犯人と断定することについては合理的な疑いが残るのであるから、これらの疑問点を解明することなく、前記各事実を総合して、本件放火と被告人との結びつきについて証明が十分であるとした原審の判断は、支持しがたいものといわなければならない。したがって、原判決は、証拠の価値判断を誤り、ひいて重大な事実誤認をした疑いが顕著であって、このことは、判決に影響を及ぼすこと明らかであり、これを破棄しなければ著しく正義に反するものと認められる。  ところで、本件は、火災発生の日から五年余り経過し、しかも本件火災発生の2日後に被告人方家屋はなんぴとかの放火と疑われる火災のため全焼しているので、今後あらたな証拠が現われることはほとんど望みえない状況にある。現に、原審における事実の取調によっても、第一審の証拠調の結果に付加すべき何らの新証拠をうることができなかったという経過に徴しても、いまさら、本件を原審に差し戻し、事実審をくりかえすことによって事案の真相の解明を期待することは適切な措置であるとは思われない。とくに、本件においては、犯行と関連性があると認められる間接事実の存在については争う余地が少なく、核心は、情況証拠に対する評価とこれに基づく推論の過程にあることを考えあわせると、本件は当審において自判することによって決着をつけることが相当であると考えられるので、本件は、「疑わしきは被告人の利益に」の原則に従い、公訴事実につき犯罪の証明が十分でないとして、被告人に対し無罪の言渡をすべきものである。」 【掲載誌】 最高裁判所裁判集刑事190号781頁        判例時報725号104頁
【法律相談QA】
法律相談の時間の目安はどのくらいですか? メールで相談することはできますか? 法律相談の料金はいくらですか? 費用が幾らくらいかかるのか不安です


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